第2回目のスマイルインビューは清水田 薫さん。
センターを長く利用されている利用者さんの一人です。
現在では陶芸サークルのリーダーをはじめ、様々な講座に参加されています。
過去に脳出血を発症し、障害を負われた当時の体験談や想いを伺いたいと思います。
障害を負ってもスキーに挑戦!!
――センターで精力的に活動されていますが、趣味や好きなことはありますか?
清水田さん:元気だったころは趣味があったね。今は趣味なし。
スキーとお酒が好きだったよ。お酒は今でも好きだね。歴は50年くらい前からやっていたかな。
――スキーはどこによく行かれていましたか?
清水田さん:一番よくいったのは上越によく行っていたね。一番近いから。次に長野、八峰とかもよく行ったね。当時は夜行電車に乗って朝についてよく滑っていたよ。昔はスキーの道具を担いでいっていたよ。今は宅急便があるから身軽になったね。
障害を負ってからスキーができなくなったけど、2回くらい障害を負ってから行ったね。東京都の障害者スポーツセンターでスキーの募集があって、それに参加して2度ばかり行ったな。女性インストラクターの腕前がすごくて、俺の膝を押さえてバックで滑っていたよ。俺はその人に身を預ける形になるからボーゲンの形をとって滑らしてもらったよ。風を切るようなスピードだったね。恐怖だったけど十分楽しめたね。
さすがプロスキーヤーって感じだよ。各県のスキー連盟の方が教えてくれるから良かったね。あとは女房とゲレンデに行ってゲレンデを歩くといったこともしたね。ただスキー靴を履けないから装具で歩くと足と靴の間に雪が入っちゃって、大変だったよ。
痙性麻痺でスキー靴に入れようとすると指先が曲がって指が押し付けられるからすごく痛いよ。だからなかなか履けるスキー靴がなかなかなくて、行くのをやめたね。今でもいいスキー靴があれば行きたいなと思う。東京都のスポーツ障害者センターでいた時は指定したらちゃんと用意してくれて、ぴったりだったから感動したよ。
他にもバイスキーにのせてもらったり、スノーモービルで引っ張ってもらったりして良い体験をさせてもらったね。個人で行ったら相当なお金がかかるよ。今は障害者スポーツセンターでスキーを募集してないから、残念だなと思う。
――障害を負っても体を動かして好きなことに取り組めるということはすごく貴重な経験ですね!お話の中でお酒がお好きとおっしゃっていましたが、おすすめのお酒はありますか?
清水田さん:「上善水の如し」と「八海山」がおすすめかな。あとは忘れちゃったな。日本酒が好きだけど、最近は二日酔いするから最近は焼酎しか飲まないな。
――「上善水の如し」かっこいい銘柄ですね。今度試してみようと思います。
障害者センターとの出会い
――センターを利用し始めて何年ほどですか?
清水田さん:53歳で麻痺になったから、15~16年くらい経っているかな?
脳血管障害を起こして、病院を3ヶ月で出てから病院を転々として温泉病院がいいなと思い山梨まで行って病院を当たったけど、断られたよ。6ヶ月以上過ぎたら当病院では受け付けられないといわれたね。行くところがなくなって東京都の障害者福祉センターに行って、宿泊とリハビリがあるところだったな。そこもずっといれるわけでもなく、期限が切れて地域に戻ってくださいと言われて、その後区の施設を探して新宿区立障害者センターを紹介されて機能回復訓練室に1年ほど通ったな。
その後はセンターの講座を利用しながらリハビリをしたな。左半身麻痺だけじゃなくて高次脳機能障害もやっているから、体のリハビリだけじゃなくて頭のリハビリもしなきゃいけなかったよ。体のリハビリは軽体操をやったな。頭のリハビリは陶芸、料理、パソコン、書道など大体の講座に参加したね。書道はきれいな姿勢で座らないと書けないから左半身麻痺だと右で体を支えるから、右寄りになってしまうので良いリハビリになったね。
どの講座もリハビリのためにやるね。陶芸サークルもやっているけど費用が掛かるし、自分たちでやっているから、責任があるから疲れるね。
講座もサークルもすべてはリハビリのためにやっているね。死んでしまった脳細胞は戻らないし麻痺はなおらないわけだから麻痺があっても行動できるように、体を動かす、そのためにリハビリをやっている。
――いろいろとご自身で考えられて、より良いリハビリを受けれるように活動していった結果、センターで活動することになったということですね。体だけではなく頭のリハビリもしなければならない中で、精力的に活動されている清水田さんを私も見習いたいです。そういった中で障害について困ったことはありますか
清水田さん:高次脳機能障害になると自分の障害状態を理解できないことが一番つらかったね。何がおかしいのかがわからなかったよ。リハビリをやっているうちに何がおかしいかがわかってきて、初めて自分で色々なことをしようってなったね。
最初は失語症、記憶障害、複視、半側空間無視いろいろ考えてもいろいろなことができない、二つのことが同時にできなくなったりしたよ。例えば歩行しようとしても普通だと何も考えなくても無意識で歩いて行けるけど、脳血管障害になってからは一歩歩くために左足出して右足出してと考えなきゃいけなくなったね。それはなぜかというと記憶障害だからだよね。どうすればいいかがわからない。でもいろいろリハビリや、講座をやって行くうちに良くなっていったね。言葉も出るようになったし、目も良くなってきた。
最初は奥さんが外出させなかったけど、その理由は信号の色の区別が複視で分からなかったからだと思う。わからないから人が渡るのを見て渡ろうと思うけど渡り切れない。だけど車いすだと間に合うからそれで車いすを使うようになったな。色々考えて生きていかなきゃいけないけど、考えるってことが昔は出来なかったけどできるようになったと思うね。
――高次脳機能障害になると、失語症や記憶障害、複視など生活していく上で不便だったり、命にかかわるような危ないケースもあるということがよくわかりました。ひと時も気が抜けないですね。受傷されたときの経緯を教えてください
清水田さん:当時の事は意識が無くて何も覚えてないね。病院へ着くまでは意識があったけど、MRIに入ってからは記憶が無くて、目が覚めたら病院のベッドの上だったから。先生からの説明も当時はわからなくて、当時の状態はわからなかったな。
後で調べたら脳の視床という部分から出血してしまったという事がわかったよ。家の中で脚立に乗って作業をしていた時に脚立から降りて、脚立をしまおうとしたときにふと立ち上がった時に体の左側がビリビリして、頭の中から「ゴー」という反響音がしてこのままだと死ぬなと思ったね。でも家にその時誰もいなかったから2階に上がって消防に通報して貴重品だけ用意して脳細胞が死なないようにあまり動かないようにしていたな。
そして国際医療センターに運ばれた。その時はもうだめかと思ったよ。MRIに入ってから気絶しただけだったらまだ今の障害ほど重くならなかったと思うけど、その後水頭症になって頭の水抜きをしたね。それが状態を悪くした原因かな。一家の大黒柱だったから急なことで収入がなくなって、医療費もかかるから苦労したね。
治らないけど、死ぬまでリハビリ
――今大変だと感じることはありますか?
清水田さん:昔かかった第5腰椎すべり症のせいであおむけやうつ伏せになるとだるい感じになるね。未だと脊柱管狭窄症もあるのかな。ただ直立で歩けないから、比較的痛みを感じないね。逆にマヒが治ったらものすごい痛くなったりするかもね。
――麻痺があると感覚が鈍くなるのですね。センターに通うようになってこころの変化はありしたか?
清水田さん:自分が通う事になるとは思わなかったね。こころの変化とかそういうのはあまりないね。とにかくリハビリのために来ている感じ。陶芸サークルを始めてリーダーになってからはやる以上にはいいものにしたいなとか、お金を間違えないようにというような責任感はあるかな。
――こころの変化はなくリハビリ一直線ということですね。今センターで楽しみにされていることはありますか?
清水田さん:リハビリでよくなったところに気づくことかな。
――毎年ホノルルマラソンに参加されていると伺ったのですが?
清水田さん:あれはリハビリ。苦しいよ。でもハワイはいい所だし天国だよ。寿命が延びた気持ちになるね。だけどホノルルマラソン自体はきついね。まず朝3時に起きて準備をすることがきつい。送迎バスで現地に向かう順番待ちが1時間ほどかかることもきつい、その間にトイレに行くことも長蛇の列ができてきついし、スタートしてゴールするまでにトイレを探すこともきつい。女房の買い物のスピードについていくのもきついね(笑)
でもこれもリハビリだよね。ハワイで感じたことは方向音痴になったなと思った。覚えられないからね。未だにホテルから自分ひとりじゃ一歩も出れないよ。一番恐怖だったのは、女房の買い物の時に買い物に夢中になっておいていかれたときに迷子になりそうになったよ。
――車いすでの参加は奥様の力が必須で、二人三脚で息を合わせて取り組む必要があるのですね。今後の目標や楽しみはありますか?
清水田さん:麻痺を治すこと!!治らないけど死ぬまでリハビリ!!
でも一番の目標は女房と一緒に人生の最後を遂げることかな。
リハビリ一徹な清水田さん。熱意と勉強量がとても伝わってきました。実は鍼灸あんま師をお持ちのようで、体のことについても詳しく伺うことができました。体験談やご自身が困っていることについても詳細に話していただき、インタビュアーの知らないことばかりでした。幸せな目標も伺うことができて、素敵なインタビューの時間でした。ありがとうございます。 |